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横浜地方裁判所 昭和31年(ワ)154号 判決

原告 イズラエル・カール・グスター フユージン・ラーケルフエルト

被告 山口正勝 外一名

主文

被告等は原告に対しマリアンヌ・ウイルソン(スエーデン国籍、一九四九年四月一七日生)を引渡せ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求めた。

第二、請求の原因

一、マリアンヌ・ウイルソンは、昭和二四年(一九四九年)四月一七日横浜市においてスエーデン国籍亡ヴイヴイアン・ジヨイ・ウイルソンを母とし、アメリカ国籍ジエイムス・ヴオーンを父として出生したが、母が出生の時からスエーデン国籍を有し、正式の結婚によらない場合であつたため、同女はスエーデン国籍法第一条に基き、出生の時から当然に、スエーデン国籍を有しているものである。

二、母ヴイヴイアン・ジヨイ・ウイルソンは、昭和二五年八月横浜市において死亡し、その直後右マリアンヌ・ウイルソンは、被告山口フミに引取られ、その後同人の夫となつた被告山口正勝の両名によつて、引続き、被告等の肩書住所地において、養育を受けて来た。

三、けれども被告等はマリアンヌ・ウイルソンを監護教育するについて、法律上何の権利も有していない。そして、原告は昭和三〇年一二月二三日、スエーデン国ストツクホルム市裁判所から、右マリアンヌ・ウイルソンの監護権者に任命され、スエーデン法に従つて右幼児の監護義務を負うことになつたので、被告等両名に対し、右幼児の引渡を求める。

第三、被告等の答弁

請求原因事実中一、二項の事実は認める。三項の事実中原告がマリアンヌの監護権者に任命されたことは知らない。被告等にマリアンヌを監護教育する権利がないとの点は争う。

一、マリアンヌの母ヴイヴイアンは、昭和二五年八月頃、結核で病床にあつたが、その将来も危ぶまれる状態にあつたので、マリアンヌの行末を案じ、その頃被告山口フミに対し、マリアンヌの養育を委託し、自分の死後もマリアンヌが独立して生計を立てられるようになるまでは、同女の許で養育してくれるように依頼した。被告山口フミは、以来右委託に基いてマリアンヌを引取り、監護教育して来たものである。ヴイヴイアンは同月間もなく死亡したが、右委任はその趣旨から同女の死亡によつて消滅せず、今日もなお存続している。そして右フミは、今日も右委任に基いてマリアンヌを監護教育しているものであり、被告山口正勝はフミの夫として、同女を助け、ともにマリアンヌを養育しているものであるから、被告等はマリアンヌを原告に引渡す義務を負担しない。

二、かりに右主張が理由がないとしても、マリアンヌは出生後間もない頃から、母ヴイヴイアンの委託により、被告山口フミの許で監護教育されて来たもので、今日自らの意思に基いて、被告等の許に留つているのであり、スエーデンに行くことは自らは少しも望んでいない。しかもマリアンヌは現在被告等の許で、極めて幸福に生活しているのであつて、被告等は別段原告の監護権の行使を妨害しているものではない。従つて被告等は原告に対しマリアンヌを引渡す義務を負担しない。

三、かりに右主張が理由がないとしても、原告の本訴請求は監護権の濫用であつて許されない。すなわち原告はスエーデン国家から監護権者に指定されたという理由で、マリアンヌの引渡を求めているのであるが、原告自身の語るところによれば、原告はマリアンヌの引渡しを受けたとしても、同女を自己の家庭に引取り自ら監護教育する意思はなく、スエーデンの適当な家庭に世話をするとのことである。しかも原告は、監護権者として引渡訴訟を提起しながら、この訴訟の結果を見ずに日本を去り、現在は駐日スエーデン公使館の後任者が、本件訴訟に関する一切の権限を任されている。これらの人々はいづれも外交官であつて、マリアンヌを自らの家庭にひきとり愛情をもつて養育しようとしているのではなく、マリアンヌをスエーデン国の人口の中に入れればその任務を終了する人々に過ぎない。これにひきかえ、被告山口フミは、母ヴイヴイアンから、自分の死後もマリアンヌが独立するまでは、誰にも渡さずに養育してほしいとの委託を受け、被告正勝とともに、一才の時から引き続き同女を養育して来たものである。その結果現在マリアンヌは満七才に達し、被告等の許で極めて幸福に生活しており既に幼稚園を終り、本年四月から小学校に入学し、学友とともに勉学にいそしんでいる。その間被告等は同女を育てるために、自分達の間に子をもおけず、一意専心マリアンヌの監護と教育に生命を打ち込んで来た。現在被告等とマリアンヌとの間は、実際の親子と同様な否それ以上の強い愛情のきづなで結ばれている。このような状態においては、マリアンヌを被告等の許で引続き養育する方が、同女のため幸福であつて、何の縁もない原告が単にスエーデン国家から監護権者に選任されたという理由だけで、同女の引渡を求めることは監護権を濫用するものに外ならない。従つて被告等は原告の本訴請求に応じる義務はない。

第四、被告等の主張に対する原告の答弁

一、マリアンヌの監護教育につき、ヴイヴイアンから被告山口フミに対して、被告等主張のような委託がなされたことは否認する。かりにそのような委託があつたとしても、それは親子関係等親族上の法律関係に、何の影響も及ぼすものではない。原告はマリアンヌの監護権者としてその権利と義務に基いてその引渡を請求するものであつて、右委託がスエーデン法による監護権者の権限を失わしめるものでないことは明かである。

二、被告等はマリアンヌ自身が自らの意思に基いて、被告等の許に留つているのであるから、原告の監護権の行使を妨害していないと主張するが、マリアンヌは現在満七才の未成年者であり、その故にこそ監護権者を必要としているのであるから、未成年者の意思が被告等の許に留まることを欲しているとしても、そのことは被告等がマリアンヌの引渡を拒む理由とはならない。

三、被告等は監護権の濫用をいうが、権利の濫用とは権利が法律上認められている社会的目的に反して行使される場合にいうのであつて、スエーデン国の法律によつて正当に監護権者に選任された原告が、その職責として法律上何の権限もなくマリアンヌを養育している被告等に対し、その引渡を求める本訴請求が、権利の濫用であるということはあたらない。被告等は原告にはマリアンヌに対する愛情がなく、被告等に肉身以上の愛情があることを、権利濫用を主張する根拠としているようであるが、原告の愛情はスエーデン国民全体を代表して、同国の一市民であるマリアンヌの将来の幸福を願うものであつて、単なる感情的愛情ではない。被告等は原告の本訴請求が未知の家庭に預けることを目的とするといつて非難するけれども、国家的に厳選したスエーデンの家庭において養育せしめようとするものであつて、無責任に引渡を求めているのではない。これを権利の濫用とするのは、原告或いはスエーデン国の意図を誤解するものであつて、この主張は理由がない。

第五、証拠〈省略〉

理由

第一、請求原因一、二項の事実は当事者間に争いがない。

第二、原告の監護権についての判断

法例第二三条第一項によれば、後見は被後見人の本国法によるべきものであるところ、一九四九年六月一〇日スエーデン国親族法は、第一一章第二条において、「母親は婚姻によらずして出生した未成年の子の監護権者となる」と規定し、同章第三条において、「未成年の子の監護権者となるべきものがいないときは、裁判所は監護権者を選任しなければならない。」と規定している。そして本件においてマリアンヌの母ヴイヴイアンが、昭和二五年八月死亡したことは当事者間に争いのないところであつて、マリアンヌは右法条により裁判所による監護権者の選任を要すべきであつたところ、成立に争いのない甲第二及び第五号証によれば、スエーデン国ストツクホルム市裁判所監護部において、一九五五年一二月二三日、原告がマリアンヌ・ウイルソンの監護権者に選任されたことが認められる。そして監護権の内容について同法第六章第一二条は婚姻によらずして出生した子に対する監護については婚姻によつて出生した子の監護に関する同章第二、第三条の規定を準用するものとし、右第二条によれば「両親は子を扶養し慎重に養育しなければならない、両親は子が両親の生活状態及び子が資産を有するときはその資産並に子の資質に適当する生活と教育を受けられるように取計らわなければならない」と規定され、右第三条は「両親は子を監督すべきものとし、その匡正のためには、子の年令その他の事情に応ずべき教育的手段を用いることができる」と規定している。そして同法第一三章第四条は「監護権者は熱意をもつて被監護者の権利及び福利を擁護しなければならない」としている。これらの規定からすれば、原告はマリアンヌの監護権者として、同女を監護教育する権利及び義務を有するものであつて、その行使の妨げとなる者があれば、これを排除してその行使を全うするため、その者に対して同女の引渡を求めうるものといわなければならない。

第三、被告等の主張に対する判断

被告等が現在マリアンヌを監護教育していることは当事者間に争いのないところである。被告等は同女を原告に引渡す義務がないと主張するので以下その主張について判断する。

一、先づ被告等はマリアンヌの母ヴイヴイアンから同女の監護教育を委託されたことを理由に、原告の請求に応じる義務がないと主張するので、考えてみるのに、かりに右委託が被告等主張のように、同女が独立し得るに至るまで同女を監護養育する趣旨であつたとしてもかかる委託は法律によつて新たに選任された監護権者の権利義務を制約し得べきものではなく、従つて右委託は原告に対し何の効力も及ぼすものではないから、そのことだけで原告の引渡請求を拒むことはできない。

二、次に被告等は、マリアンヌが被告等の許における現在の生活に満足し、自らの意思で被告等の許に留つているのであるから、被告等は少しも原告の監護権を妨害していないと主張する。しかし子の監護教育の権利義務は専ら子の現在及び将来の幸福のために認められるものであるから、それが妨害されているか否かも専らその観点から考察すべき事柄であつて、被監護者の意思というもそれが当人の現在及び将来の幸福をもたらし得るか否かを判断するについての一資料に過ぎないと解すべきである。ところでマリアンヌが現在満七才であることは当事者間に争いのない事実であつて、そのような幼少な時代においては、自ら自己の境遇を認識し、且つ将来を予測して、適切な判断をするについて未だ十分な意思能力を持つているとは認められないから、このようなマリアンヌの現在の意思を云為して正当な監護権を行使せんとする原告に対し同女の引渡を拒むことは理由のないものと云わざるを得ない。

三、次に被告等は原告の本訴引渡の請求を権利の濫用であると主張するのでこの点を検討する。

被告山口フミの本人尋問の結果、証人桑原邑江の証言及び弁論の全趣旨によると、被告山口フミは昭和二五年五月頃マリアンヌがようやく満一才になつた頃に当時結核で療養中の母ヴイヴイアンから、同女の養育を依頼されてこれを引取り、以来今日に至るまで満六年余の間、利害や打算を度外視し、ひたすら愛情と努力を傾けて同女を養育して来たものであり、被告正勝もフミの夫としてともにその養育に専念して来たこと、及び両人とも今日なお同女を愛するの余り、その独立し得るまでは自己の許で引続き養育したいと念願していることが認められるのであつて、このような愛情と熱意が今日のマリアンヌを育てあげたことを思えば、その愛情と努力は高く評価されるべきことである。しかしながら、マリアンヌはスエーデン国籍を有する少女であつて、原告本人並びに被告本人山口フミ各尋問の結果及び弁論の全趣旨に徴すれば被告等がマリアンヌを養子としてもらい受け同女を適法に被告等の子として養育することは現在及び将来において到底期待し得ない事情にあることが認められるのみならず被告山口フミの本人尋問の結果からも、同女が欧米人の血を受けて、一見して東洋人と識別される容ぼうを持つていることは充分うかがえることであるから、このような少女にとつては、早くからスエーデン市民の生活の中で、同国人の言語、教養、習俗を見につけながら成長することが、同女の将来の幸福のために最も望ましいことといわなければならない。そして原告は本国の裁判所からマリアンヌの監護権者に選任され、マリアンヌの将来の幸福のために右のような目的を実現すべく正当な監護権の行使として誠意をもつて同女の引渡を請求していることは、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から十分にうかがえるところである。それゆえ、被告等が多大の努力と愛情をもつて今日までマリアンヌを養育して来たことは真に尊いことではあるけれども、それをもつて法律上正式に選任された監護権者の正当な監護権の行使を阻止し得るものではなく、従つて原告の本訴引渡の請求を監護権の濫用であると非難することは当らない。なおこの点に関し被告等は原告がマリアンヌとは何の縁もない他人であり愛情に欠けるものと主張するけれども原告はすでに本国の裁判所からマリアンヌの監護権者として適当な者として選任されているのであり、且つ本国法によれば監護権者は熱意をもつて被監護者の権利及び福利を擁護すべき義務を負うものとせられているのであるから、右の如き被告等の主張は首肯し得ない。

思うにマリアンヌを原告に引渡すことによつて被告等の過去の努力や愛情は、決して無に帰するものではなく、また被告等が全然無縁の人となるものでもない。マリアンヌが成人した暁には必ずや被告等が同女のためにつくした努力と愛情に限りなき恩愛のきずなを感じ、同女の人生に大きなうるおいを与えることであろう。

第四、結論

以上のとおり被告等の主張はいずれも理由がないから結局被告等は原告に対し、マリアンヌを引渡す義務があるものと云わなければならない。

よつてその履行を求める原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

なお原告は仮執行の宣言を求めているけれども、幼児の引渡の請求は監護権の作用としてその妨害の排除を求める請求に他ならないから、財産権上の請求とはいえない。従つて仮執行の宣言を附さない。

(裁判官 山村仁 石沢三千雄 千種秀夫)

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